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「私たちの国は美しい村だった。小さな小さなそれこそ村のような国だったけれど。緑でいっぱいで、花もたくさん咲いていた。田や畑には作物が豊富に実り、川の中には魚が泳いでいた。夏になると兄さんとよく泳いだよ。」
カシュアが懐かしそうに微笑む。エルはその向こうの情景に心を弾ませる。
父様と?
「そう。村の真ん中に小さな湖があって。そこには祠があった。入り口は小さいんだけど、なかは長く長く湖の反対側までつながっている。その奥は国の中でも選ばれたものしかはいれないんだ。」
選ばた人?エルが小さくたずねる。
明かりにともされた小さな二人の顔が赤く浮かび上がる。
中央の焚火がぱちぱちと木をはじき、音を立てる。
小さな宿屋の一番ちいさな部屋に三人は身を寄せ合っていた。
「そう選ばれた人。大切なものがあったからね。」
エルの寝転んだベットに、カシュアは腰掛けていた。
エルが動くたび、その小さな振動が伝わってくる。
「私たちは、いつも人の目を盗んではその湖で遊んだんだ。その湖全体は、ミタムアたちが結界を張っていたんだけど、兄さんもミタムアで、それを抜ける力を持っていたからね。いたずら盛りの僕たちは国では禁じられた場所に入るスリルが楽しくてしょうがなかった。兄さんもその力がたのしくて仕方なかった時期だし。」
何歳のときなの?
「兄さんが15だから、ぼくは10さいくらいかな。悪いことはあらかたやってしまって飽きてた頃だね。」
楽しそうにカシュアはくつくつと笑う。
シュラは、近くの椅子に腰掛け静かに耳を傾けている。
「そこで兄さんと君のお母さんは出会ったんだ。」
小さかったカシュアも、あの時のことは今でも鮮やかに思い出すことができる。
足元までの金色の髪をたらし、白い儀式用の衣装をまとったアーシャが驚いたように赤い瞳を向けていたことを。
今まで見たものの中で一番きれいなものだった。
その一つ一つの動作もまるで舞を踊っているようだった。
私たちがそこにいる理由を彼女は、その陶器のような頬を緩ませ、鈴のような声で笑った。
禁断の場所だった。誰も入ってはいけないところだったのに。
カシュアは、エルの顔を見ながらアーシャの姿を重ねる。
兄の眼も奪われていることをカシュアはあの時感じていた。アーシャの仕草ひとつひとつに、兄の眼がついていっていたから。
もちろん自身の目も。初恋だったのかもしれない。
「母様は、どうしてそんなところにいたの?母様もいたずらしてたの?」
「エル昔話した伝説を覚えているかい?二人の神様の話。」
エルはふいの話の矛先に不思議そうな顔をする。
「覚えてるよ。すごく強い神様とすごく優しい兄弟の神様の話ね。」
「諍いを始めた二人の神は、やがては戦争を始める。自分の家臣たちや人間も巻き込んで大きな戦争をね。
やがて、その戦争にも終わりが来た。勝利したのは弟の神。ただし、優しい弟の神は兄を殺してしまうことはできなった。だから兄の神を封印し、鍵として自身も眠りにつくこととした。」
「じゃあ、どこかにいるの?その神様たちは。」
「そう。倒すにはイグニスは強すぎたし、イレオスは優しすぎた。すごく近くにまだいるんだ。」
エルが大きな声をだす。
「え!近くにいるの!」
どこだろう。シュラ。
エルは傍らにいた、シュラへ目を光らせら語りかける。
「話のつづきをしてもいいかな?」
エルがしーっと唇に人差し指をあて、静かにというジェスチャーをシュラに送る。
「僕たちが生まれた村はね。そのイレオスとイグニスを守るためにあった村だったんだ。」
エルが膝に乗せた手の上の貝殻のようなつめに、血の流れがカッシュには見えた。
「湖の中の祠に守られていたのはイレオスとイグニス。イレオスがイグニスを封印したのは・・・」
カシュアはごくりと唾を飲み込む。
「イレオスは村の祠の中にイグニスを封印したのね?」
得意げにエルが声を出す。
カシュアは悲しげにその様子を見て、首を振る。
エルが小さく顎をかしげる。イレオスがなぜそれを選んだのか、カシュアはいつも理解に苦しむ。
この先の人生がその人間にとって、困難を極めるものか。
この世で大切なものも。
この世で消してしまわなければならないものも。
「違うよ。イレオスはその時最も信頼していた人間の中にイグニスを封印し、そして自分も要石としてイグニスとともに眠りに付いた。」
イレオスにとって、どうして天秤にかけなければならないのか、カシュアは大人になった今でも、いやいまだからこそ理解ができないのだった。
「『われを復活させたものに、われの力を授けよう。すべての願いを叶え、世を支配できるこの力を。』イグニスが封印される前に言い残したことばだよ。」
一息カシュアはつく。
僕たちはなぜ生まれてきたのだろう。
このためだけにうまれ、このためだけに死んでいく。
アーシャや、兄さんのように。
エルの小さなつま先からカシュアはそこから目を離せなかった。
僕はだから生きている。みなの血を背負って。この使命のためだけに。
「僕たちの村は、その人間の子孫たちの村なんだ。イレオスを守り、封印を継続させるためにそのために存在した。イグニスのことばに惑わされたすべての人間より封印を守るために。」
僕はだから生きていく。エルのために。
「アーシャはその祠で守っていた。二人の神をその内に抱いて。たった一人で。たった15のエルの母様がその器だったんだ。」
のど元が重くなるのをカシュアは感じる。
しばらくしてアーシャが誇らしげに語った多くの物語を僕たちは知らなかった。
村でも最高機密。
その日の空は、いつもよりさらに青く見えた。初めて本当の空を見た気がした。
「それがアーシャの、僕たち一族の使命だったから。」
声がこのままでなくなればいいと、このまま何も伝えず。何も知らせず入れたらどんなにいいだろうと。
でも。カシュアの声は絞り出すようにかすれた。
ひらひらと夜の風がふってくる。さらつく空気にあの村の姿をカッシュは確かに感じる。
アーシャが背負った運命と力は、カッシュには想像もつかないほど大きかった、
僕たちにはどうしようもなかったのだと、カッシュの中で今でもあの日の声がこだまする。まっすぐなエルの顔があの日のアーシャとカッシュの中で重なる。
純粋なほどまっすぐで、痛いほど悲しい運命の力をまとったアーシャ。
「あの日、帝国軍が僕たちの村に攻め入ったあの日アーシャも兄さんも村のすべてが炎に消えた。」
紅く染まる木々。呼吸さえもできない暑さ。
エルの抱いた幼い自分が走る。
「あの日、アーシャが死んだ瞬間に使命は受け継がれた。・・・・イグニス・イレオスはエル。今は君の中にいるんだ。君の中に眠っている。アーシャから受け継いだ君の使命だよ。」
イレオスが、器として選んだのはイレオスが愛した人間との間に生まれたたった一人の子どもだった。世の権力者より、身を守るすべも知らない小さな命だった。
エルの表情を読めないのは初めてだとカシュアは思う。
いままでこんなにも近くにいたのに。
みじろきもせず、三人は互いの顔から何かを読み取ろうとするように見詰め合っていた。
「エルの使命なんだ。」
カシュアはもう一度自分に言い聞かせるように呟いた。
「エルの中に二人の神様がいる。アーシャから受け継がれた。僕らの使命だ。」
エルは、山ほどの疑問を感じていた。
けれども、それをどこから解決していけばよいのかわからない。
カシュアの語った内容は、すこし難解でエル自身のことなのに、どこか遠い御伽噺の域を脱しない。
それなのに、この胸いっぱいに広がる真っ黒い思いにエルは眠れずなんどもベットの上で寝返りを打つ。寝返りを打つたび、自分のからだがどんどん重くなるような錯覚になる。
カシュアは、少し前に部屋を出て行った。いつも眠る時にはカシュアは必ず横にいてくれたのに。
いつものように笑っていたが、いつものカシュアにはエルは見えなかった。その行動も。
エル自身今までの生活を少し寂しいと感じることはあったが、カシュアが頭をなでて、シュラが優しく微笑んでくれることのほうが何倍もうれしかった。でも。カシュアはどうだったのだろうと考えると、不安は大きくなるばかりだ。自分を疎ましく感じたことはなかったのか。
自分さえいなければ、カシュアやシュラはもっと自由に暮らせるのではないのかと考えると、自分自身の存在が重くて、怖くてたまらなくなった。
部屋の窓から暗闇が、流れ込んでくるように。部屋はますます黒を増す。
「エル。」
まどろみの中で、影が手を伸ばし優しく体をなでる。エルはその手に自分の手を重ねる。
自分の体温とピタリと重なりあう。ちょうどいい温度。
「シュラ・・・。」
影の名をエルは呼ぶ。
「強くなるよ。」
シュラの声がじんわりと皮膚から吸収されるようにエルの中へ入ってくる。
「エルを守るから。」
エルの目からしずくがこぼれる。
自分の瞳から流れ落ちるしずくを手の甲で受けながらエルは、シュラの体にしがみつく。
冷たい手のひらが背中に当たるのをエルは感じた。
もしも、この手を失わずにいられるのなら、エルはたとえ自分の中の神様に背いてもいいとさえ思えた。
「シュラ兄様。私はナニをすればいいのかな?私は・・。」
エルのやわらかい体を感じながら、シュラはいつまでもエルの背中をなでていた。シュラにも分からない。
分かっているのは、エルがシュラにとっての安息の場だということだけ。
誰にも奪われたくないものだということ。
誰よりも強くなりたい。とエルのためだけでなくシュラは思った。
やがて寝息に変わるまで。ずっとシュラはエルを感じていた。
暗い部屋の窓をカシュアは眺めていた。
シュラとエルは眠りについただろうか。
ふかすタバコも何も、カシュアの胸を埋めるものはない。
自分はどこまでも無力なのだと、兄が攻めているように感じる。
エルの顔をまっすぐ見る勇気さえ。じぶんは持たない。
夜はどこまでも暗く。
夜明けはいつまでもやってこなかった。





